昭和20年8月15日 終戦の日(終戦記念日)。
実は14日に
すでに戦争は終結していたのですが・・・・とそれは置いといて
今年もNHKで戦争特集をやるでしょうか?
そんな訳で
ゲゲゲの鬼太郎の生みの親 水木しげる先生も戦争に行っており
その体験談を綴った本・戦争実体験を元にした
絵日記風の少し変わった本を読みまいた。
戦場の悲惨さを
面白おかしくと言うと変ですが
のほほんと描いてます。
ぜひ、機会があれば読んでほしい
おすすめの本です。
面白エピソードが魅力的な1冊。
本と作家の情報etc・・
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著者 ・ 水木しげる
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本名 武良 茂(むら しげる)
1922年~2015年 享年 93歳
言わずと知れた「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親。
子供の頃はガキ大将。
仕事に就くが毎回2ヶ月でクビとなる。
仕事を覚えられない配達途中職人の手仕事に
気をとられ仕事をわすれ見物するなどが主な原因。
その後、職に就くのを諦め
大阪府立園芸学校を受験。
自身満々で絶対合格を自負。
しかし、父が確認したら不合格であった・・・
とまぁ、マイペースでかなりの楽天家、そして面白い人。
『引用:Wikipedia』
タイトル・「水木しげるのラバウル戦記」
1997年 発売
ページ数 232p
水木しげるのラバウル戦記 | |||
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総合評価 |
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レビュー件数 | 49件 |
水木しげるのラバウル戦記~あらすじ
鳴らないラッパを吹く毎日に嫌気がさし上官に
「やめたい」と直談判上官から返ってきた返事が
「南方がいいか?北方がいいか?」
南方戦線は敵が上陸 進行中の激戦区だった。
しかし、何も知らない下っ端二等兵水木は
迷わず南方と答えた。
(多分、陽気で温かいという単純な考えからだと思う)
初年兵(新米)として船で内地を離れまずパラオへ。
船内で彼は言った。
「なんだパラオか・・ラバウルじゃないんだ・・・」
この一言で何故か上官に生意気な口をと
往復ビンタがビビンっと炸裂・・・
頭の中は??・・・で一杯だが
水木は
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「ご注意、ありがとうございます!」
そういう時代だった。
こういう性格ゆえか彼は事あるごとに上官に
ビンタ ビンタの日々を送った・・・
上陸した頃は行軍の毎日そんな中でも原住民と
仲良くなり野菜を分けてもらったりパパイヤを
採ったり見慣れない鳥や虫景色に気分はウキウキの時もあった・・・
しかし、鬼軍曹にわけのわからない理屈で
ビンタをビビンと10発もらったり
同じ小隊の仲間がワニに喰われて
いつの間にかいなくなったり
嫌な事不気味な事もあった。
そして、激戦区ラバウルでは片腕を失い
現地の野戦病院に送られるがマラリアにかかり
厳しい環境でついには気が狂いそうになり
死をも覚悟するも原住民の手ほどきもあり彼は復活する。
原住民との交流は深まり 最後には現地に残り
現地除隊を本気で考えた。
激戦区に送り込まれた水木しげるの戦争体験談が
絵日記 で綴られる。
水木しげるのラバウル戦記~感想
とてもこれから戦場に行くとは思えないほど
楽天的すぎる。
マジかって思うほど・・・
まるで修学旅行にでも行く感じで
集団行動の中、単独行動ばかりとる
そのせいで上官からは目をつけられて
何かと上官に殴られるまくり、読んでる方は笑えて読めます。
中でもパラオからラバウルに出港する際
船で水木が監視役をしてる時敵潜水艦から魚雷が発射
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「魚雷だーっ」と叫ぶが
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誰にも聞こえず シ~ン ・・・・
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仕方なく、その魚雷を観察・・・・
おもわず 吹き出してしまった。
まぁ、船は上手いこと魚雷をかわしたみたいですが・・・
その状況で観察って・・・面白すぎ。
とても面白い人で上官に殴られる理由も中々です・・・
しかし、そんな面白い絵日記ばかりではなく
やはり戦争・・・
慰安婦の事や同じ小隊で死んでいった仲間について
人間の生と死の不平等差をサラリと語ったりと
真面目な語りもあり、この人は戦争に行ったんだ
地獄を見たんだと 思わせる所もあり
読んでて戦争を教えてくれます。
最後にのせてるスケッチの数々は
戦争の生々しさが伝わる絵ばかりでした。
230ページとわりと少ないページ数で
絵日記風(上段に絵 下段に文)の構成
文章も短く簡潔にまとめてあるので
読みやすかったです。